東京高等裁判所 平成6年(行ケ)226号 判決 1997年4月23日
大阪市中央区北浜4丁目7番19号
原告
住友特殊金属株式会社
代表者代表取締役
岡本雄二
訴訟代理人弁護士
中川康生
同
佐藤泉
同弁理士
押田良久
同
加藤朝道
同
内田潔人
東京都千代田区霞が関3丁目4番3号
被告
特許庁長官 荒井寿光
指定代理人
柿沢恵子
同
森田信一
同
及川泰嘉
同
小川宗一
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第1 当事者の求めた判決
1 原告
特許庁が、平成5年審判第11885号事件について、平成6年8月9日にした審決を取り消す。
訴訟費用は被告の負担とする。
2 被告
主文と同旨。
第2 当事者間に争いのない事実
1 特許庁における手続の経緯
原告は、昭和60年1月18日、名称を「耐食性のすぐれた永久磁石の製造方法」とする発明(以下「本願発明」という。)につき特許出願(特願昭60-7951号)をしたが、平成5年3月31日に拒絶査定を受けたので、同年6月10日、これに対する不服の審判の請求をした。
特許庁は、同請求を平成5年審判第11885号事件として審理したうえ、平成6年8月9日、「本件審判の請求は、成り立たない。」との審決をし、その謄本は、同年9月15日、原告に送達された。
2 本願発明の要旨
コーティング材からなるターゲット板を陰極とし、R(RはYを含む希土類元素のうち少なくとも1種)8原子%~30原子%、B2原子%~28原子%、Fe42原子%~90原子%を主成分とし、主相が正方晶相からなる永久磁石体を陽極として、少なくとも2極間に電圧を加え、真空容器内に導入したアルゴンガスまたは反応性ガスの単独あるいは混合ガスを放電し、イオン化された前記ガスを電界にて加速させて前記コーティング材からなるターゲット板に衝突してコーティング材原子を放出させ、容器内に配置する前記永久磁石体表面に耐食性薄膜を形成被覆することを特徴とする耐食性のすぐれた永久磁石の製造方法。
3 審決の理由
審決は、別添審決書写し記載のとおり、本願発明は、その出願日前の出願であって、本願出願後に出願公開された特願昭60-3711号出願(特開昭61-163266号)の願書に最初に添付した明細書(以下「先願明細書」という。)に記載された発明(以下「先願発明」という。)と同一と認められ、しかも、本願発明の発明者が先願発明の発明者と同一であるとも、また、本願発明の出願人が先願発明の出願人と同一であるとも認められないので、特許法29条の2(平成5年法律第26号による改正前のもの)の規定により特許を受けることができないとした。
第3 原告主張の審決取消事由の要点
審決の理由中、本願発明の要旨の認定と、先願発明が希土類鉄系永久磁石において酸化防止保護膜をその表面に被覆することにより希土類鉄系永久磁石の防錆を行なう方法であることは認めるが、その余は争う。
審決は、先願発明の認定を誤った(取消事由1)結果、相違点(1)及び(2)を誤認して各相違点についての判断を誤った(取消事由2、3)ものであるから、違法として取り消されなければならない。
1 取消事由1(先願発明の認定の誤り)
審決は、先願発明につき、先願明細書には、「大気中で容易に酸化しやすい希土類鉄系永久磁石において、スパッタリング手段により酸化防止保護膜をその表面に被覆することにより希土類鉄系永久磁石の防錆を行う方法が記載されている」(審決書3頁16~20行)と認定しているが、誤りである。
(1) 先ず、審決は、「大気中で容易に酸化しやすい希土類鉄系永久磁石において」としているが、先願発明の「希土類鉄系永久磁石」がどのような組成構造を持つかについて、先願明細書の特許請求の範囲には具体的開示がない。「希土類鉄系永久磁石」は、多種多様であり(甲第4号証記載のSmとCoを主成分とするが、相当量の鉄とほう素、ハフニウムを含む永久磁石、同第5号証記載の低温で優れた磁気特性を有する磁石である非晶質のTbFe2、同第6号証記載の液体急冷されたPr-Fe、Nd-Feの永久磁石、その他甲第10~第17号証参照。)、成分割合及び結晶相が明らかにならなければ、その物理的性質あるいは化学的性質は特定されず、大気中で酸化されやすい性質を持つものとはいえない。したがって、先願発明における「希土類鉄系永久磁石」が、大気中で容易に酸化しやすいものであるとは認められない。
審決は、先願発明の希土類鉄系永久磁石は、「特に大気中で容易に酸化しやすいR-Fe-M永久磁石(RはNd、Pr、Ce、Dyであり、MはB、Si等のメタロイド元素である。〔以下同じ。〕)である」(審決書4頁12~15行)と認定しているが、先願明細書の特許請求の範囲にこのような限定はなく、発明の詳細な説明の項の従来技術についての「希土類鉄系永久磁石において特にR-Fe-M永久磁石(・・・)は、特に大気中で容易に酸化しやすいため」との記載は、先願発明の希土類鉄系永久磁石の組成構造を限定する趣旨とは解されない。
さらに、審決は、昭和55年3月20日発行「大学課程 電気材料(改訂第2版)」262頁(甲第20号証)の記載を根拠として、R-Fe-M永久磁石は酸化されやすいと認定する(審決書5頁15行~6頁6行)ところ、単体の希土類が大気中で酸化されやすいことは争わないが、他の元素との合金又は化合物では必ずしも酸化しやすいとは限らず、また、組織状態の差異によってもそれぞれの性質が異なることは明らかであるから、上記の結論は誤りである。
(2) 次に、審決は、「スパッタリング手段により」と認定しているが、先願明細書のスパッタリング手段についての記載は非常に不十分であり、上記のとおり、希土類鉄系永久磁石の成分割合及び結晶相が明らかにならなければ、その物理的性質あるいは化学的性質は特定されず、どのような被覆手段が可能かつ有効であるかを判断することができないから、当業者がこの記載をみて、無限定の希土類鉄系永久磁石の防錆手段として、どのようなPVD手段をすれば有効であるのか、とくにスパッタリング手段を選択することに価値があるのか、スパッタリングとしてどのような手順が有効なのかを理解し、実施することは不可能であり、先願発明は、酸化防止手段としてスパッタリング手段を用いるものであるとは認められない。
(3) また、先願発明は、「酸化防止保護膜をその表面に被覆する」PVD手段の前提として、「加熱すること」を必須の要件とするものであり、審決は、このことを看過している。
2 取消事由2(相違点(1)の認定・判断の誤り)
審決は、相違点(1)として、「前者(注、本願発明)は、希土類鉄系永久磁石体が、R(RはYを含む希土類元素のうち少なくとも1種)8原子%~30原子%、B2原子%~28原子%、Fe42原子%~90原子%を主成分とし、主相が正方晶相からなるものであるのに対し、後者(注、先願発明)は、特に大気中で容易に酸化しやすいR-Fe-M永久磁石(RはNd、Pr、Ce、Dyであり、MはB、Si等のメタロイド元素である。)である点」(審決書4頁7~15行)と認定する。
しかし、前記1のとおり、先願発明における希土類鉄系永久磁石は無限定のものであり、この点で本願発明とは相違している。希土類鉄系永久磁石であっても、成分割合及び結晶相が明らかにならなければ、その物理的性質あるいは化学的性質は特定されないから、大気中で酸化されやすいか、また、どのような被覆手段が酸化防止に可能かつ有効であるかを判断することはできない。
したがって、先願発明の「希土類鉄系永久磁石」は、その出願当時、既に知られている大気中で酸化されやすい希土類と鉄を主成分としているR-Fe-M永久磁石を広く含む上位概念ということはできず、また、本願発明の「R(RはYを含む希土類元素のうち少なくとも1種)8原子%~30原子%、B2原子%~28原子%、Fe42原子%~90原子%を主成分とし、主相が正方晶相からなる永久磁石体」を含むものということはできない。
以上によれば、審決の、相違点(1)が実質的な差異ではないとの判断(審決書7頁2~3行)は誤りである。
3 取消事由3(相違点(2)の認定・判断の誤り)
審決は、相違点(2)として、「スパッタリングをする際に、前者(注、本願発明)は、形成すべきコーティング材を陰極ターゲットとし、コーティング材を被着させる永久磁石体を陽極として、少なくとも2輝間に電圧を加え、真空容器内に導入したアルゴンガスまたは反応性ガスの単独あるいは混合ガスを放電し、イオン化されたガスを加速させてコーティング材に衝突させてコーティング材原子を放出させ、陽極を構成する永久磁石体に凝縮させて形成被覆しているのに対し、後者(注、先願発明)は、そのような具体的な記載がない点」(審決書4頁15行~5頁5行)と認定する。
しかし、前記1のとおり、先願発明は、酸化防止保護膜被覆手段としてスパッタリング手段を用いるものでなく、また、PVD手段の前提として「加熱すること」を必要としており、この点において、本願発明におけるスパッタリング手段とは全く相違するものである。
本願発明における、上記の特定のスパッタリング手段は、気体状の皮膜物質に適当なエネルギーを与えるために必須のものであり、この結果、本願発明は、「膜の性質が緻密でかなりピンホールが少なく」、「膜の均一性はかなり均一であり」、「磁石体の全表面が完全にコートされている」という、先願発明における酸化防止保護膜被覆手段とは格別に異なる顕著な効果を奏するものである。また、本願発明は、特定耐食性試験に耐える高度の耐食性、密着性を示す(甲第2号証第1表)のに対し、先願明細書には、耐食性試験はなされておらず、単に皮膜形成時の悪影響防止との記載があるのみである。
したがって、審決の、相違点(2)についても特に差異を認めないとの判断(審決書8頁7~8行)は誤りである。
第4 被告の反論の要点
審決の認定判断は正当であり、原告主張の取消事由はいずれも理由がない。
1 取消事由1について
(1) 先願明細書(甲第3号証)中の、[産業上の利用分野]の項には、「本発明は、大気中で容易に酸化しやすい希土類鉄系永久磁石の防錆方法に関するものである。」(同号証1欄18~19行)、[従来の技術]の項には、「希土類鉄系永久磁石において、特にR-Fe-M永久磁石(・・・)は、大気中で容易に酸化しやすいため・・・従来からCr、Ni等を湿式メッキ手段によりその表面に被覆することにより酸化防止が計られてきた。」(同2欄1~13行)、[発明の効果]の項には、「本発明により希土類遷移金属合金の中で、特に大気中で容易に酸化しやすいR-Fe-M永久磁石(・・・)の表面酸化が防止される・・・」(同4欄20行~5欄4行)との記載がある。
また、一般に、R(La、Y、Ce、Sm、Prなどの希土類金属)が1種または2種以上、残部のM(Fe、Co、Ni、Cuなど)が1種又は2種以上からなるRM5、R2M17等の希土類金属間化合物より得られた焼結型磁石や樹脂結合型磁石が耐酸化性に弱いこと(乙第1号証・特開昭49-86896号公報1頁左下欄14行~右下欄18行)、「一般に希土類金属Y、La、Ce、Sm、Pr、ミツシュメタルは空気中で自然酸化を起し、次第に安定な酸化物に移行し易いことは良く経験される。故に、RM5、R2M17等で代表される磁石においても当然酸化による磁気特性の劣化は危惧される」(同号証1頁右下欄19行~2頁左上欄4行)ことは、周知のことである。
上記の先願明細書の記載内容及び周知事実によれば、先願発明における「希土類鉄系永久磁石」が、大気中で容易に酸化し易いものであることは明らかであり、審決が、この「希土類鉄系永久磁石」を、「特に大気中で容易に酸化しやすいR-Fe-M永久磁石(・・・)である。」(審決書4頁12~15行)と認定したことに誤りはない。
(2) 先願明細書(甲第3号証)の特許請求の範囲第1項には、スパッタリング手段について、「希土類鉄系永久磁石において、真空蒸着、スパッタリング、イオンプレーティングのPVD手段により酸化防止保護膜をその表面に被覆する・・・防錆方法」と記載されており、防錆用の物理的被膜形成手段の1つとしてスパッタリングが明示されている。
ところで、従来から薄膜形成法は大別して物理的方法と化学的方法に分けられ、前者には、(熱)蒸着、スパッタ、イオンプレーティングの各方法があることは、周知の事実(乙第5号証・昭和57年12月1日初版1刷発行「薄膜化技術」)であり、これらの3方法は、物理的な薄膜形成手段としては、置換可能性及び置換容易性のある均等な手段として汎用されてきている(乙第6号証・実開昭54-127823号のマイクロフィルム、乙第7号証・特開昭55-158264号公報)。
そして、このうちのスパッタリングについて、単にスパッタリングといえば最も基本的な直流スパッタリング(=DC2極グロー放電型)を意味していることは技術常識であると認められる(前示乙第5号証の文献、乙第8号証・昭和37年11月25日発行「薄膜技術とその応用」)。
したがって、審決における、先願発明のスパッタリング手段の認定に誤りはない。
(3) 先願明細書の特許請求の範囲第1項では、スパッタリング手段により酸化防止保護膜をその表面に被覆して防錆することだけを、先願発明の必須構成要件としており、加工歪を取るために加熱しながらPVD処理を行うことが必須の要件とはなっていないことは、実施態様項である第2、第3項の記載や[発明の効果]の項の記載からみても、明らかである。
したがって、審決において、PVD処理を行うに当たり、「加熱すること」を先願発明の必須の構成要件と認定しなかったことに誤りはない。
2 取消事由2について
本願発明において特定している成分割合及び結晶相のR-Fe-B系永久磁石が、先願の出願当時既に周知の希土類鉄系永久磁石に属すること(乙第2号証・特開昭58-123853号公報)、該R-Fe-B系の正方晶化合物は、広い組成範囲で存在し、R、Fe、B以外の元素を添加あるいは置換しても安定に存在すること(乙第3号証・特開昭59-222564号公報)、R-Fe-Bを主成分とする正方晶の永久磁石が酸化して錆を発生するため耐酸化性を改善する必要があったこと(乙第4号証・昭和60年1月8日公開の特開昭60-1808号公報)は、いずれも先願の出願当時既に当該技術分野においては周知の事実にすぎない。
そして、先願明細書中の希土類鉄系永久磁石の解釈にあたっては、その明細書及び図面の記載内容及び出願当時の当該技術分野の技術水準や技術的背景を踏まえて判断することは当然のことである。
そうすると、前記1のとおり、先願発明の「希土類鉄系永久磁石」は、「特に大気中で容易に酸化しやすいR-Fe-M永久磁石(・・・)である」(審決書4頁12~15行)が、この大気中で容易に酸化し易いR-Fe-M永久磁石は、広い組成範囲で存在し、かつ酸化され易いことが明らかなそれ自体周知の正方晶のR-Fe-B系永久磁石を特に除外しているものとは認められないし、特にこれを排除すべき技術的必然性も見当たらない。
したがって、審決における相違点(1)の認定及び「このものが希土類と鉄を主成分としているところからみて、・・・この場合を特に排除するものとは認められず、当然に包含していると判断せざるをえない。そして、本願発明において特定の成分割合および結晶相のR-Fe-B系永久磁石を用いたことにより、先願発明と別発明を構成する程の特有な効果も存在しないので、永久磁石材料の特定により両発明に実質的な差異を生じるものとすることはできない。」(審決書6頁14行~7頁3行)との判断に、誤りはない。
3 取消事由3について
本願発明における被膜形成手段は、スパッタリング条件として、格別な条件を採用するものではなく、前記1で述べた直流スパッタリング手段の基本的態様と何ら相違するものではない。
そして、「スパッタリング手法」により形成された膜は、ピンホールがなく、密着性が良好で、均一性も普通であることは、周知のことである(乙第7号証・特開昭55-158264号公報、甲第18号記・昭和52年12月25日2版発行「金属表面技術便覧(改訂新版)」563頁表9・9)から、この技術常識を踏まえつつ、先願発明の「TiN、Al2O3層が緻密で強固に形成されるため、被覆層による腐蝕あるいは剥離が発生しない」なる膜の記載内容と、本願発明で形成された膜の性質とを比較してみても、格別な差異はほとんど認められない。
また、本願発明では、特定耐食性試験のデータを効果確認のために示しているが、本願発明と先願発明とにおいて目的と構成に差異がない場合には、両者は同一の効果が達成されるのは当然のことであるから、スパッタリング薄膜の効果を確認する試験として、特定耐食性試験を採用したからといって、発明の効果自体が左右されるわけではない。先願明細書の第1図に示されている4πI-H磁気特性試験でも、発明の効果の一面は確認可能である。
したがって、審決における、「本願発明で記載している・・・薄膜を形成させる手段は、スパッタリング手段そのものであって、他になんらの特徴を有するものでないことは、明らかなことであるから、(2)の点についても特に差異を認めない。」(審決書7頁16行~8頁8行目)との判断に誤りはない。
第5 証拠
本件記録中の書証目録の記載を引用する。書証の成立については、いずれも当事者間に争いがない。
第6 当裁判所の判断
1 取消事由1(先願発明の認定の誤り)について
(1) 先願発明について、先願明細書(甲第3号証)の特許請求の範囲第1項には、「希土類鉄系永久磁石において、真空蒸着、スパッタリング、イオンプレーティングのPVD手段により酸化防止保護膜をその表面に被覆することを特徴とする希土類鉄系永久磁石の防錆方法」と、[産業上の利用分野]の項には、「本発明は、大気中で容易に酸化しやすい希土類鉄系永久磁石の防錆方法に関するものである。」(同号証1欄18~19行)と、[従来の技術]の項には、「希土類鉄系永久磁石において、特にR-Fe-M永久磁石(RはNd、Pr、Ce、Dyであり、MはB、Si等のメタロイド元素である。)は、大気中で容易に酸化しやすいため・・・このような永久磁石が組込まれている場合、その表面が酸化されると磁気特性の劣化による実質的な磁気空隙の変化によるパーミアンスの変動により小型電子機器の性能を劣化させることが多い。そのため従来から・・・表面に被覆することにより酸化防止が計られてきた。」(同2欄1~13行)と、[発明が解決しようとする問題点]の項には、「被覆層の密着性が良好であり、かつ活性な被被覆体に対して悪影響を及ぼさない防錆方法を提供することを目的とする。」(同3欄3~6行)と、[発明の効果]の項には、「本発明により希土類遷移金属合金の中で、特に大気中で容易に酸化しやすいR-Fe-M永久磁石(RはNd、Pr、Ce、Dyであり、MはB、Si等のメタロイド元素である。)の表面酸化が防止されるとともに、・・・磁石特性を回復させながら防錆効果をもたらすことができる。」(同4欄20行~5欄11行)との各記載がある。
以上の記載によれば、先願発明は、従来から存在した大気中で容易に酸化しやすい希土類鉄系永久磁石を対象として、その酸化防止のための防錆方法を提供しようとするものであると認められる。
原告は、希土類鉄系永久磁石は多種多様であり、大気中で酸化されにくい希土類鉄系永久磁石が種々存在すると主張する。
しかし、希土類鉄系永久磁石に大気中で容易に酸化しやすい性質のものが存在することは、当事者間に争いがなく、先願発明は、前示のとおり、そのような希土類鉄系永久磁石を対象とするものであることが明らかであるから、原告の主張は採用できない。
したがって、先願発明の希土類鉄系永久磁石は、「特に大気中で容易に酸化しやすいR-Fe-M永久磁石(RはNd、Pr、Ce、Dyであり、MはB、Si等のメタロイド元素である。)である」(審決書4頁12~15行)との審決の認定に誤りはない。
(2) 先願発明が、前示のとおり、「真空蒸着、スパッタリング、イオンプレーティングのPVD手段により酸化防止保護膜をその表面に被覆する」手段を採用しており、これにつき、先願明細書(甲第3号証)には、「本発明は湿式メッキに対して、乾式メッキである真空蒸着、スパッタリング、イオンプレーティング等のPVD手段を用い、希土類鉄系永久磁石において、永久磁石自体を加熱しながら上記PVD手段により酸化防止保護膜をその表面に被覆するものである。」(同号証3欄8~13行)と説明されている。
そして、薄膜技術に関する技術文献である昭和37年11月25日発行「薄膜技術とその応用」(乙第8号証)、昭和52年6月30日発行「磁気工学講座5 磁性薄膜工学」(甲第22号証)及び昭和57年12月1日初版第1刷発行「薄膜化技術」(乙第5号証)によれば、薄膜形成手段としてスパッタリング法は周知の技術であることが明らかであり、先願明細書に酸化防止保護のための薄膜を永久磁石に形成被覆する手段の1つとしてスパッタリングが明記されている以上、先願発明において、これら周知のスパッタリング技術が採用できることはいうまでもない。
この周知のスパッタリング技術につき、上記「薄膜化技術」(乙第5号証)の「図5.11は、代表的な直流スパッタ装置の構造を示す。一対の陰極と陽極からなる2極冷陰極グロー放電管構造で、陰極はターゲットに相当し、陽極は基板ホールダの役目を兼ねる。たとえば、真空槽内を1×10-1Torrのアルゴン雰囲気に保って、電極間に数kVの直流電圧を印加すると、電極間にグロー放電が発生する。このグロー放電により、放電空間にアルゴンプラズマが形成される。このプラズマ中のアルゴン正イオンが、陰極近傍の陰極電位降下で加速され、ターゲット陰極表面に衝突し、ターゲット表面をスパッタ蒸発させる。スパッタ粒子は、陽極上に配置された基板上に沈着して、ターゲット材料からなる薄膜が形成される。」(同号証111頁25行~112頁4行)との記載に照らせば、本願発明の「コーティング材からなるターゲット板を陰極とし」、基板を陽極として、「少なくとも2極間に電圧を加え、真空容器内に導入したアルゴンガス又は反応性ガスの単独あるいは混合ガスを放電し、イオン化された前記ガスを電界にて加速させて前記コーティング材からなるターゲット板に衝突してコーティング材原子を放出させ」、容器内に配置する前記基板表面に薄膜を形成被覆するスパッタリング技術は、格別のスパッタリング条件を採用するものではなく、当業者にとってごく普通に採用できる周知の技術であり、これが先願発明で採用されている周知のスパッタリングに比し特段の特徴を有するものとは認められない。
(3) 先願発明の特許請求の範囲第1項には、前示のとおり、酸化防止保護膜を永久磁石の表面に被覆する際に加熱することは要件として明記されておらず、その実施態様項と認められる同2項には、「永久磁石自体を加熱しながらPVD処理を行なう特許請求の範囲第(1)項記載の希土類鉄系永久磁石の防錆方法。」、同3項には、「加熱温度は600℃以下に設定した特許請求の範囲第(2)項記載の希土類鉄系永久磁石の防錆方法。」(甲第3号証1欄10~15行)との記載がある。
また、先願明細書(甲第3号証)には、先願発明は、「真空蒸着、スパッタリング、イオンプレーティング等のPVD手段を用い、希土類鉄系永久磁石において、永久磁石自体を加熱しながら上記PVD手段により酸化防止保護膜をその表面に被覆するものである。・・・加熱温度は600℃以下に設定することが好ましい。」(同号証3欄9~17行)、「本発明により希土類遷移金属合金の中で、特に大気中で容易に酸化しやすいR-Fe-M永久磁石(・・・)の表面酸化が防止されるとともに、Ti、Cr、NiあるいはTiN、Al2O3層が緻密で強固に形成されるため、被覆層による腐蝕あるいは剥離が発生しないので、小型電子機器の性能を長期間にわたり維持できるようになった。また、300℃以上に加熱した場合は、加工歪みを取りながら被覆処理を行なうので、磁石特性を回復させながら防錆効果をもたらすことができる。」(同4欄20行~5欄11行)との記載がある。
上記の記載によれば、先願発明では、加工歪みを取り、磁石特性を回復させるために、加熱(300℃以上)してPVD処理を行うことが望ましいが、それに限定されるものではなく、そのような実施態様を含むより一般的な永久磁石に関する防錆方法を提供しようとするものと認められる。また、前示のスパッタリングに関する技術文献(甲第22号証、乙第5、第8号証)においても、スパッタリングでは加熱することが一般的条件ではないと認められるから、加熱しながらスパッタリングを行うことが実施態様として示されているとしても、それに限定されるものでない以上、加熱しない一般的なスパッタリング方法も、先願明細書には開示されていると認められる。
(4) 以上の説示に照らせば、審決における先願発明の認定並びに本願発明と先願発明との一致点及び相違点の認定(審決書3頁16行~5頁6行)に誤りはない。
2 取消事由2(相違点(1)の認定・判断の誤り)について
前示のとおり、審決の相違点(1)の認定に誤りはない。
そして、本願発明の出願人によって出願され、先願発明の出願前に公開された発明に関する公開特許公報である、特開昭59-46008号公報(甲第21号証)、特開昭59-222564号公報(乙第3号証)、特開昭59-217304公報(乙第9号証)、特開昭59-215460号公報(乙第10号証)には、いずれも、「R(但しRはYを含む希土類元素のうち少なくとも1種)8原子%~30原子%、B2原子%~28原子%、残部Fe及び不可避的不純物からなり、主相が正方晶とする永久磁石」が実質的に記載されている。
また、同じく先願発明の出願前の昭和60年1月8日に公開された特開昭60-1808号公報(乙第4号証)には、「この発明は、希土類・ボロン・鉄を主成分とする新規な永久磁石の温度特性と共に耐酸化性を改善した希土類・ボロン・鉄を主成分とする永久磁石を目的としている。すなわち、この発明は、R(但しRはYを含む希土類元素のうち少なくとも1種)8原子%~30原子%、B2原子%~28原子%、Si15原子%以下、残部Fe及び不可避的不純物からなり、主相が正方晶とする焼結体であることを特徴とする永久磁石である。・・・この発明では、主成分たるFeまたはBの一部をSiで置換することにより、生成合金のキュリー点を上昇させ、残留磁束密度の温度特性を改善するものであり、さらに、磁気回路に組立た場合の永久磁石の錆発生は磁気回路の出力低下を招来するため、永久磁石の耐酸化性の改善を計ったものである。」(同号証2頁左上欄2行~右上欄3行)と記載されており、ここに記載された永久磁石は、本願発明と同じ「R(RはYを含む希土類元素のうち少なくとも1種)8原子%~30原子%、B2原子%~28原子%、Fe42原子%~90原子%を主成分とし、主相が正方晶相からなる永久磁石体」であって、この永久磁石の錆発生の防止を一つの目的として、永久磁石体Feの一部をSiに置換したものと認められる。
上記の事実によれば、本願発明が対象とする「R(RはYを含む希土類元素のうち少なくとも1種)8原子%~30原子%、B2原子%~28原子%、Fe42原子%~90原子%を主成分とし、主相が正方晶相からなる永久磁石体」は、先願発明の出願前に当業者には周知であったことは明らかである。
また、前示特開昭60-1808号公報(乙第4号証)の記載によれば、本願発明と同様の構成を有する永久磁石において、錆が発生することがあり、耐酸化性の改善すなわち有効な防錆手段の実現という課題が、先願発明の出願前に知られていたことが認められる。
そうすると、前示のとおり、先願発明の希土類鉄系永久磁石は、「特に大気中で容易に酸化しやすいR-Fe-M永久磁石(RはNd、Pr、Ce、Dyであり、MはB、Si等のメタロイド元素である。)」(審決書4頁12~15行)であり、本願発明が対象とする「R(RはYを含む希土類元素のうち少なくとも1種)8原子%~30原子%、B2原子%~28原子%、Fe42原子%~90原子%を主成分とし、主相が正方晶相からなる永久磁石」は、先願発明の出願前周知の希土類鉄系永久磁石であり、さらに、これらの永久磁石では耐酸化性の改善すなわち有効な防錆手段の実現が周知の技術課題となっていたことが明らかであるから、本願発明が対象とする永久磁石は、先願発明の大気中で容易に酸化しやすいR-Fe-M永久磁石に含まれるものであって、先願明細書に実質的に記載されているものというべきである。
したがって、相違点(1)に関する審決の判断(審決書5頁8行~7頁3行)に、誤りはない。
3 取消事由3(相違点(2)の認定、判断の誤り)について
前示のとおり、審決の相違点(2)の認定に誤りはない。
本願発明における被膜形成手段が周知のスパッタリング方法であり、格別のスパッタリング条件を採用するものではなく、この点において先願発明におけるスパッタリング手段と相違するものではないことも、前示のとおりである。
そして、「スパッタリング手段」により形成された薄膜は、一般的にピンホールがなく、付着力及び密着性が良好で、広い面積で均一性を有するなどの効果を有することは、周知のことである(甲第22号証・昭和52年6月30日発行「磁気工学講座5 磁性薄膜工学」54~55頁、甲第18号証・昭和52年12月25日2版発行「金属表面技術便覧(改訂新版)」563頁表9・9、乙第7号証・特開昭55-158264号公報7欄6~11行、8欄表2)。したがって、原告が主張する本願発明の「膜の性質が緻密でかなりピンホールが少なく」、「膜の均一性はかなり均一であり」、「磁石体の全表面が完全にコートされている」という効果は、いずれも格別のものではなく、当業者にとって予測可能であることは明らかである。
原告は、本願発明は特定耐食性試験に耐える高度の耐食性、密着性を示し(甲第2号証第1表)、その点において先願発明とは具体的構成が異なると主張するが、本願発明は、耐食性薄膜の形成において、前記のとおり格別のスパッタリング条件を採用するものではなく、本願発明と先願発明とにおいて目的と構成に差異がないことは前記のとおりであるから、上記主張には理由がない。
したがって、相違点(2)に関する審決の判断(審決書7頁4行~8頁8行)に、誤りはない。
4 以上のとおり、原告主張の審決取消事由はいずれも理由がなく、審決の認定判断は正当であって、その他審決に取り消すべき瑕疵はない。
よって、原告の本訴請求は理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担について、行政事件訴訟法7条、民事訴訟法89条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 牧野利秋 裁判官 清水節 裁判官芝田俊文は、転官のため、署名捺印することができない。 裁判長裁判官 牧野利秋)
平成5年審判第11885号
審決
大阪市中央区北浜4丁目7番19号
請求人 住友特殊金属株式会社
東京都中央区銀座3-3-12押田特許事務所
代理人弁理士 押田良久
昭和60年特許願第7951号「耐食性のすぐれた永久磁石の製造方法」拒絶査定に対する審判事件(昭和61年7月26日出願公開、特開昭61-166117)について、次のとおり審決する。
結論
本件審判の請求は、成り立たない。
理由
(本願発明)
本願は、昭和60年1月18日の出願であって、その発明の要旨は、平成5年2月5日付け手続補正書により補正された明細書の記載からみて、その特許請求の範囲に記載された次のとおりのものと認める。
「コーティング材からなるターゲット板を陰極とし、R(RはYを含む希土類元素のうち少なくとも1種)8原子%~30原子%、B2原子%~28原子%、Fe42原子%~90原子%を主成分とし、主相が正方晶相からなる永久磁石体を陽極として、少なくとも2極間に電圧を加え、真空容器内に導入したアルゴンガスまたは反応性ガスの単独あるいは混合ガスを放電し、イオン化された前記ガスを電界にて加速させて前記コーティング材からなるターゲット板に衝突してコーティング材原子を放出させ、容器内に配置する前記永久磁石体表面に耐食性薄膜を形成被覆することを特徴とする耐食性のすぐれた永久磁石の製造方法。」(原審における拒絶の理由)
原審において平成4年11月6日付けで通知された拒絶理由の概要は、本願発明は、その出願の日前の出願であって、その出願後に出願公開された特願昭60-3711号出願(特開昭61-163266号参照)(以下、引用例1という)の願書に最初に添付した明細書に記載された発明と同一であると認められ、しかも、本件出願の発明者または出願人が上記したその出願前の出願に係る発明者または出願人と同一であるとも認められないので、特許法第29条の2の規定により特許を受けることができない、というものである。
(引用例)
引用例1には、大気中で容易に酸化しやすい希土類鉄系永久磁石において、スパッタリング手段により酸化防止保護膜をその表面に被覆することにより希土類鉄系永久磁石の防錆を行う方法が記載されている。
(対比・判断)
本願発明と引用例1に記載された発明(以下、先願発明という)とを対比すると、両者は、スパッタリング手段により、希土類鉄系永久磁石体の表面にコーティング物質による耐食性(酸化防止と同義)薄膜を形成被覆する耐食性永久磁石の製法において、(1)前者は、希土類鉄系永久磁石体が、R(RはYを含む希土類元素のうち少なくとも1種)8原子%~30原子%、B2原子%~28原子%、Fe42原子%~90原子%を主成分とし、主相が正方晶相からなるものであるのに対し、後者は、特に大気中で容易に酸化しやすいR-Fe-M永久磁石(RはNd、Pr、Ce、Dyであり、MはB、Si等のメタロイド元素である。)である点。(2)スパッタリングをする際に、前者は、形成すべきコーティング材を陰極ターゲットとし、コーティング材を被着させる永久磁石体を陽極として、少なくとも2極間に電圧を加え、真空容器内に導入したアルゴンガスまたは反応性ガスの単独あるいは混合ガスを放電し、イオン化されたガスを加速させてコーティング材に衝突させてコーティング材原子を放出させ、陽極を構成する永久磁石体に凝縮させて形成被覆しているのに対し、後者は、そのような具体的な記載がない点。の2点で相違し、その余の点では一致している。
そこで、上記相違点について検討する。
(1)の点について、先願発明ではR-Fe-B系永久磁石における成分割合および結晶相について記載するところがないが、その明細書中には、特に大気中で容易に酸化しやすいR-Fe-B永久磁石と記載しているところから、大気中で容易に酸化しやすいR-Fe-B系永久磁石であればその成分割合および結晶相に拘泥しないと理解される。実際のところ、希土類は、極めて酸化し易いため、化合物を酸化による劣化から保護しなければならないという必要性があることは従来から自明のことであるし(必要あらば、「大学課程 電気材料(改訂第2版)」(株)オーム社発行 昭和55年3月20日 第262頁第9~23行目 参照。)、また、鉄も大気中で容易に酸化されて錆を生じることはよく知られたことであるから、R-Fe-B系永久磁石は、どの様な成分割合のものであれ、酸化されやすい希土類と鉄を主成分として含有している限りにおいて、本質的に酸化され易いものであると理解できる。このように考えると、先願発明は、その出願当時、既に知られている大気中で酸化され易い希土類と鉄を主成分としているR-Fe-B系永久磁石を広く含む上位概念の発明であると認められ、そして、本願発明において特定している成分割合および結晶相のものは先願の出願当時既に公然知られていたものであり(特開昭59-46008号公報参照。)、しかも、このものが希土類と鉄を主成分としているところからみて、大気中で酸化され易いことは明らかなことであるから、この場合を特に排除するものとは認められず、当然に包含していると判断せざるをえない。そして、本願発明において特定の成分割合および結晶相のR-Fe-B系永久磁石を用いたことにより、先願発明と別発明を構成する程の特有な効果も存在しないので、永久磁石材料の特定により両発明に実質的な差異を生じるものとすることはできない。
(2)の点について、先願発明では、酸化防止保護膜の形成手段として、真空蒸着、スパッタリング、イオンプレーティングのPVD手段が明記されており、しかも、気相成長による薄膜生成技術として、真空蒸着、スパッタリング、イオンプレーティングは周知のものであり、その装置自体も周知であるから(必要あらば、「磁気工学講座5 磁性薄膜工学」昭和52年6月30日丸善(株)発行第49~55頁参照。)、真空蒸着の実施例が一実施例として開示されていれば、スパッタリングの実施例がなくても発明としては、十分とはいえないまでも開示されていると認められる。そして、本願発明で記載しているコーティング材からなるターゲット板を陰極とし、被被覆体である永久磁石体を陽極として、少なくとも2極間に電圧を加え、真空容器内に導入したアルゴンガスまたは反応性ガスの単独あるいは混合ガスを放電し、イオン化されたガスを電界にて加速し、コーティング材からなる陰極を衝撃してコーティング材原子をたたき出し、容器内に配置する陽極面に凝縮させて薄膜を形成させる手段は、スパッタリング手段そのものであって、他になんらの特徴を有するものでないことは、明らかなことであるから、(2)の点についても特に差異を認めない。
従って、相違点(1)ないし(2)における構成には、両者間に実質的に異なるところがあるものと認めることができない。
(むすび)
以上のとおりであるから、本願発明は、先願発明と同一であると認められ、しかも、本願発明の発明者が先願発明の発明者と同一であるとも、また、本願発明の出願人が先願発明の出願人と同一であるとも認められないので、特許法第29条の2の規定により特許を受けることができない。
よって、結論のとおり審決する。
平成6年8月9日
審判長 特許庁審判官 (略)
特許庁審判官 (略)
特許庁審判官 (略)